ラスト ナイツ RE-2215

作品情報

公開年月  2015/04/03
ジャンル  アクション/アドベンチャー
原作  忠臣蔵
監督  紀里谷和明
脚本  マイケル・コニーベス、ドブ・サスマン
製作  ルーシー・キム
製作国  アメリカ
鑑賞方法  レンタルDVD

あらすじ

とある封建的な帝国。清廉潔白で偉大な領主のバルトーク卿。
ある日、欲深く狡猾な悪徳大臣ギザ・モットの奸計にハメられ、皇帝より死罪の沙汰が下る。そして、その首を落とす役目を愛弟子のライデンに命じられる。
必死に抵抗するライデンだったが、バルトーク本人に諭され、泣く泣く剣を振り下ろす。
1年後、すでに領地は没収され、騎士たちもバラバラ。誰もが復讐に立ち上がってくれると期待したライデンに至っては酒と女に溺れる始末。
誰よりも復讐を恐れていたギザ・モットもその様子を知り、ようやく安堵するのだった。

登場人物&出演者

ライデン(演:クライヴ・オーウェン)
主人公。主君のバストーク卿に従う騎士団の隊長。
誰よりも強く騎士道を重んじ、最後まで主に従った男。
クライヴ・オーウェンはイングランド出身で、2004年公開の『クローサー』でアカデミー助演男優賞にノミネートされています。
代表作には『ボーン・アイデンティティ』、『キングアーサー』、『シューテム・アップ』などがあります。
まさかに古き良き騎士道を重んじ、復讐を果たす為にすべてを捨てる姿は印象的。
すべては主君の為と覚悟を決めたクライヴ・オーウェンの表情は素晴らしかったです。

バルトーク卿(演:モーガン・フリーマン)
ライデンが従う領主。古き騎士道を貫くも私腹を肥やす大臣ギザ・モットに目をつけられる。
その結果、大臣に対する反逆罪でライデンの手によって処刑されてしまう。
モーガン・フリーマンは世界でも有名な俳優で、その落ち着いた声からナレーターとしても多くの番組に出演しています。
近年の出演作には『テッド2』、『LUCY/ルーシー』、『トランセンデンス』があります。
忠誠を誓う騎士たちにとって理想的な主で、決して賄賂などに手を染めない人物。
死期を悟ってすべてを託した後、潔く散っていく姿はまさしく騎士そのものでした。

ギザ・モット大臣(演:アクセル・ヘニー)
悪役。帝国内で私腹を肥やす悪徳大臣で己以外は一切信用していない小心者。
賄賂を渡さないバルトーク卿の処刑を画策し、政治では首相まで上り詰める野心家である。
アクセル・ヘニーはノルウェー出身で、2004年公開の『Uno』では主演の他、監督と脚本を務めています。
他の代表作には『ヘッドハンター』、『ヘラクレス』、『オデッセイ』があります。
本作では悪役を一手に引き受ける人物として、誰が見ても憎たらしい男として演じています。

コルテス副官(演:クリフ・カーティス)
ライデンが信頼する右腕。ライデン同様に騎士道を重んじ、最後まで彼の命令に従う。
クリフ・カーティスはマオリ族出身でテレビドラマシリーズや映画などで幅広く活動しています。
見せ場は非常に少ないですが、誰よりも隊長を信頼している感じが良く出ていました。

皇帝(演:ベイマン・モアディ)
帝国の絶対的な支配者として毒となるギザ・モット大臣すら利用価値を見出す。
ベイマン・モアディはイラン系アメリカ人で、テレビドラマシリーズや映画で活躍しています。
代表作には『彼女が消えた浜辺』、『別離』、『レディ・ソルジャー』があります。
何が必要で何が必要ではないかじっくりと見定める人物で、まさに皇帝という雰囲気でした。

ナオミ(演:アイェレット・ゾラー)
ライデンの妻。最後までライデンを信じていた良き妻。
アイェレット・ゾラーはイスラエル出身で『天使と悪魔』が有名です。
夫が騎士として復讐を果たす計画を不安ながらも支えた心労は伝わってきます。

イトー(演:伊原剛志)
ギザ・モット大臣の腹心。主を亡くしたライデンを監視し続けた東洋系の騎士。
伊原剛志は日本でも活躍しているが、国際的に活躍しており、本作でも本領を発揮する。
寡黙な騎士というよりサムライという雰囲気を漂わせ、最後まで貫いていました。

感想

個人的な評価
これまで紀里谷和明監督は2本の作品を手がけています。
しかし、どちらも評価としては芳しくないモノでした。
それよりも監督デビュー作となった『CASSHERN』が話題になります。
残念ながらいい意味ではなく、かなり悪い意味でやり玉に挙げられる。
以前、書いたレビューではクソ映画として認定しました。
紀里谷和明監督の特徴はムダに長い哲学と独特な色使いが印象的でした。
写真家という事で映像は一定の評価ができるけど、脚本は残念ながらヒドイ内容だった。
2作目となった『GOEMON』は多少改善されるも、やはり、脚本は面白くない。
それで3本目がまさかのハリウッド作品となって着実に実績を上げている。
だが、本作は紀里谷和明監督の持つ作風が影を潜め、普通の作品になってしまった。
つまり、映画として成立させる為に自分の持っている特徴を捨てています。
本作は名前を伏せてしまうと、あの紀里谷和明監督の作品だとすぐに分からない。
これは非常に悲しい事であるけど、自分の手足を切ってまで普通になってしまったのです。
映画監督というのは作家性を発揮するタイプと、職人的に作るタイプの2種類がある。
紀里谷和明は前者で独特な世界観だったが、本作は後者になってしまいました。
ハリウッドからの要求だったのか、自分の長所を捨ててまで作ったのは少し残念でした。
新たなステージに立って再出発という意味ならば、次の作品がどうなるか期待します。